インド

インドで考えた生と死。母親を亡くした双子と過ごした1週間

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「人は死んだらどうなるの?」

神様が用意してくれた、大切な命

インド・コルカタ

「死を待つ人々の家」でのボランティア。

2か月間滞在させてもらったのはインド人家族の家でした。

マザーテレサに憧れて、ボランティアすることができたのは、とても親切なインド人との出会いがあったからです。

コルカタはお祭りの準備で忙しい10月半ば、インド人のお母さんの実家へ連れて行ってもらえることになりました。

コルカタから車で4時間程離れた場所にある「アランバグ」と言う田舎です。

観光地ではない、ガイドブックにも載っていない土地へ行ける機会は滅多にありません。

どんな景色が待っているのかな?どんな出会いが待っているのかな?

お母さんの実家は大人数だと聞いていたので、日本から持ってきた飴をたくさん持って出発しました。

待っていたのは元気な子供たち

アランバグへ着くと、どこか懐かしい風景が目に写りました。

大都会コルカタとは全く違う、のどかな田舎です。

お祭の間はみんな長い休みへ入るので、お母さんの家も親戚がいっぱい集まっていました。

そこで出迎えてくれたのは元気な子どもたち!

田舎にいる間中、10人以上の子どもたちに囲まれたとても賑やかな生活でした。

母親を亡くした双子

お母さんの兄弟は合わせて10人くらいだそうです。

それぞれ子どもたちがいて、その子たちが滞在中一緒に遊んでくれました。

その中で他の子よりも特別私に懐つき、どこへ行くにもそばから離れなかった女の子がいました。

ライと言う名前の女の子で、リソフと言う双子の男の子がいます。

ライとリソフは去年母親を亡くしました。

2人ともまだ10歳です。

父親は離れた場所で働き、別々に生活していると言っていました。

インドの田舎では、大きな家に親兄弟みんなで住むのが一般的なので、2人は祖母や叔母さん叔父さんに育てられ、見たところ不自由なく暮らしていました。

お母さんが1枚の写真を見せてくれました。

そこにはサリーを着た若い女の人が写っていました。

双子のお母さんの写真です。

若くして、癌で亡くなったと言っていました。

ライが私のそばから離れず、笑っていてもどこか寂しそうな表情をしていた理由がわかりました。

そしてリソフはとても甘えん坊でした。

人は死んだらどうなるの?

私が中学生だった頃、「私は何のために生きているのか?」「人は死んだらどうなるのか?」漠然と悩んでいました。

「そんなこと考えてもしょうがないよ。」

誰かに相談すると必ず言われた言葉です。

でもその時の私にとって、それはとても大切な疑問であり、死ぬということがわからないのにどうやって生きればよいのかわからなかったのです。

なぜなら、「死」=悪い事、不幸なこと、悲しい事。

そんなイメージが世間には溢れていたからです。

若くして亡くなった人や、事故や事件で亡くなる人がいれば、周りは「かわいそう、かわいそう」だと騒ぎます。

最終的に向かう「死」と言うものが不幸であるならば、なぜ私たちは生きているんだろう?

死ぬのが怖い、いずれ必ず訪れる「死」を恐れながら生きることは、とてもとても怖かったのです。

生きている意味を知りたくて、真実を知りたくて、色んな本を読みました。

しかし中学校の図書館には、私の疑問を解決してくれる本は1冊もありませんでした。

それから10年経った今、「死を待つ人々の家」でボランティアをすることになり、「死」について「生」について自分の体で体験する機会が訪れます。

この家は名前の通り、貧しく身寄りのない人たちを最後まで献身的にお世話し、愛を持って看取る施設です。

人は死を待つだけになった時、何を見ているのだろうか?

「死ぬこと」に直面した時、それでも何を学ばなければならないのか?

毎日「死」と言う現実に向き合う日々。

少しずつ私の考え方に変化が出てきます。

答えが見つかると言うよりも、死が身近にある事で言葉にできないけれど納得し、さらに腑に落ちていく感じがしました。

「死ぬこと」を恐れていては、本当の意味で生きることはできない。

言い方を変えれば、「死」を起こるものだと受け止めたのなら、今がより大切に感じられ、もっともっと自分らしく生きられると思ったのです。

残された小さな子を思うと・・・

そしてそんな時に、インドの田舎で母親をなくした双子と出会いました。

何日か経った時、今夜は一緒に寝てもいい?とライに聞かれます。

その夜は、学校の話や、好きな子の話なんかをしながら、手をつないで眠りました。

そして、ふと気づくと自分が泣いていることに気づきます。

ライから伝わってくる色んな気持ち。

悲しい、寂しい、でも今夜は一緒に寝ることができて嬉しそうな気持ち。

双子の弟リソフは、隣でもう寝てしまいました。

なんだか不思議な夜でした。

「死」は悪者ではない

1週間の田舎での生活が終わり、またコルカタへ戻る日。

ライに私が持っていたアクセサリーや小物をあげました。

リソフはいつにも増して甘えん坊です。

さようなら、元気でね。

もしかしたらもう、一生会うことは出来ないかもしれません。

遠く離れた日本とインド。そしてこの場所はさらに離れています。

そんなことを思うと、まるでこの子たちの母親になったかの様な気持ちになりました。

幼くして母親を亡くした子を見て、周りはただ「かわいそう」だと思うでしょう。

小さな子を残して死んでいった母親のことを「不幸だ」と嘆くでしょう。

もう会えない、生身に触れることは出来ない、もちろんそれは寂しくて悲しい事です。

でも、私はそれだけではないと思います。

「死」を不幸なことと決めつけてしまうのならば、人間は不幸になるために生まれてくるのでしょうか?

「あの人は小さな子を残して死んでしまった、なんて不幸なんだ。」

それは真実なのでしょうか?

ライはとても優しくて、思いやりのある女の子でした。

リソフは人の気持ちを理解していました。

それは「悲しい」から学んだ人を思いやることが出来る力なのかもしれません。

2人と別れる時に、何か自分の物ではないような感情が湧いてきました。

小さな子どもを残して死んでいった母親。

周りは「不幸」だと嘆くでしょう。

しかし私は、その母親の大きくて深い愛を感じます。

「どうか悲しまないで、幸せに生きて欲しい」と。

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Sumi

今を楽しもう!がテーマ。海外ひとり旅、色んな国のおいしいもの、料理、ヨガ、英語、などなど楽しい趣味がいっぱい。読んでくれた人の心がほっこり温まるような記事を心がけてます♪

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